「第5回 国語授業のユニバーサルデザイン実践研究大会」に参加してきた。

昨日は再び茗荷谷へ。(2日連続!)

「第5回 国語授業のユニバーサルデザイン実践研究大会」に参加してきた。

国語授業のユニバーサルデザイン(UD)化について初めて学んだのは、6年ほど前だ。

岡山県教員だった最後の1年、所属していた学校の校内研究がこのテーマだった。

桂聖先生には年間講師を務めていただき、岡山まで何度も足を運んでいただいて授業作りについて教わったり、自分も説明文の研究授業(3年「かるた」)をさせていただいたりした。

あれから6年。

UDについてはその後も書籍からアイデアをもらって自分なりに授業作りに生かしていたが、UDの研究会に出るのは初めてだった。

6年たってUDは随分進化していた。

最近、桂先生は「Which型課題の国語授業」を提案されているのを書籍を通じて知っていたが、実際に講演を聴き、これまで主張されていた「全員参加の楽しくて力のつく国語」「確認読み、解釈読み、評価読み」「焦点化、視覚化、共有化」などとすべてつながっていることが理解できた。

Which型の課題というのは、要は発問をWhatやWhyやHowからWhich(どっち?どれ?)に変えることで子供の参加率を高めていこうという話だ。これが主体的な学びの第一歩になる。

そして全員を巻き込んで話し合いができたら、授業でつけたい力(ねらい)に向かって収束させていくための「ゆさぶり発問」をし、最後にきちんとまとめていくという「学びのプロセス」をモデル化(下記)していた。

( )内は学習者の意識の流れ

①問題意識の醸成(「うん、そうだよね」)

②「Which型課題」の設定(えっ?どれかな?)

③考えのゆさぶり(だめ! なぜなら・・・ なるほど!)

④学習のまとめ(答え・整理・発展)(確かに! 他にもあるよ!)

 

講堂で行われた公開授業も基本的にこのプロセスに沿ったものだったが、1本目の授業で気になったのは「学びのプロセスありき」な印象で子供の意識の流れが、ぶつぶつ途切れていたことだ。(実際子供がたくさん挙手しているのに教師が「まだ意見あるようなんだけど手下ろしてもらっていい?」という指示が何度もあった)

学習者の文脈に寄り添うためにモデル化した「プロセス」なので、流れありきで本末転倒にならないように気をつけなければならない。(これは自分の授業を省みることにもなった。流れありき、ねらいありきで国語を進めていないか?という)

授業プレゼンでは2学期以降の単元で使える授業アイデアを教えていただいた。2学期に研究授業をするのだが、「もうそのまま授業をしてもいいんじゃないか」と思えるほど質の高いアイデアをいただいた。

 

4~7月の自分の教室の国語をふりかえると、発言が一部の子に偏りがちな状態になっていた。学習課題が国語の苦手な子のレベルに合っていなかった可能性がある。UDは課題のレベルを落とすという話ではない。全員参加できる課題にすることで、苦手な子にも力はつくし、国語の「できる子」にとっては無意識にしていることを意識化、自覚化させることになる。つまり課題の質を上げるという話だ。

夏休み明けの授業づくりで、自分の授業を改善する視点をたくさん得た。(忘れていて思い出したことも含めて)

課題設定、学びのプロセス、共有化の手立て、教材への「しかけ」・・

これらをキーワードに夏休みの間にもう少し整理してみたい。

 

投稿者プロフィール

アバター画像
masaki
誰もが自分の個性や才能を生かして、望む人生を自由に生きられる社会の実現を目指しています。今まで教育に携わりながらコーチング、心理学、カウンセリング、占星学、学習法など、個人の成長や能力開発に関わることを学んできました。このブログで発信する情報が、自己理解や他者理解を深めるきっかけの1つになれば幸いです。
詳しいプロフィールはこちら。