今日は年休をとって研究会(「第2回 子どもの論理で創る国語授業研究会」)に参加してきた。
1年ぶりの茗荷谷。
4年生の段落指導ということで、どんな提案があるのか楽しみだった。
国語の研究会で「読むこと」の授業を見ることはあっても、「書くこと」の授業を見ることは実はあまりない。
今日の授業は、ざっくりと次のような流れだった。
①教師自作(ある男の子が書いたという設定で)の文章(300字程度の随筆)を2パターンで提示(全く段落分けしてないものと、一段落一文で細かく段落分けしたもの)
②2パターンとも読みにくいので、「もし自分が書き手ならどう分けるか?」と投げかけ、4,5人のチームで段落分けをさせる。
③自分たちが考えた段落構成で、実際に原稿用紙に手分けして書く。
④チームごとに段落分けの根拠を発表。
⑤教師が考えた(実際には架空の男の子が最終的に書いたという設定)段落構成を提示(←どのチームにもなかった斬新な段落構成!!)。これはありなのかなしなのかの検討。
⑥「これもありだね」と収束したところで、まとめ。「段落とは何か?一文でまとめよう」
授業者の先生の意図として、段落とは「書き手の論理」であり、それは意図的にいかようにも構成できること、段落は視覚的な効果を生むためのツールになり得ることを教えたかったようだ。これは子供にとって新しい見方である。
協議会では、原稿用紙に書く時間をとったことの是非、非認知的能力(チームに貢献する姿勢)の大切さ、対話的な発問のしかた等について話題になった。
「子供の論理で創る」国語授業とは、子供を学びの主体として授業をつくるという、古くて新しいテーマだった。
また教師の役割を表す言葉として、ティーチャー、コーチ、ファシリテーターなどの語があるが、今回ジェネレーターという言葉を初めて知った。
ググってみると、次のような説明があった。
『生徒・学生たちとともに創造的活動に取り組むひとりのメンバーとなり、一緒に「つくる」ことに参加します。その「つくる」活動のなかで、そのときどきで必要なことを教え、自らも「つくる」ために手を動かし、その実践を見て生徒・学生も学んでいく』存在であると。
なるほど、今日の授業者の先生のスタンスがまさにそんな感じだった。
語り口調、発問のしかた、子供の発言に対する対応・・・
これは生で授業を見て、体感するしかない。
とても勉強になった。
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誰もが自分の個性や才能を生かして、望む人生を自由に生きられる社会の実現を目指しています。今まで教育に携わりながらコーチング、心理学、カウンセリング、占星学、学習法など、個人の成長や能力開発に関わることを学んできました。このブログで発信する情報が、自己理解や他者理解を深めるきっかけの1つになれば幸いです。
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