寓話のもつメッセージの力 ~ダン・ゼドラ著「5」「7」より~

前回のブログで引用したこの本。

「7(セブン) 1週間のうち何日を特別な日にできるだろう?」(ダン・ゼドラ 著、 池村千秋 翻訳 海と月社)

 

シリーズ物になっていて、もう1冊あります。

 

「5 (ファイブ) 5年後、あなたはどこにいるのだろう?」(ダン・ゼドラ 著、 伊東奈美子 翻訳 海と月社)

 

この2冊、色鮮やかにデザインされたページに、古今東西の名言やたくさんの質問が載っています。

「読む」だけでなく、「見る」そして「書く」ことで、自分の人生について振り返ることができる楽しい本です。

クリスマスシーズンのプレゼントにお薦めです。

 

この中から今回もう1つお話を紹介します。

 

ある日、大学の哲学教授が、

教室に大きなガラス瓶ときれいな石をいくつかもってきた。

「瓶が満杯になったら、手を挙げてください」

と言い、

教授は瓶に大きな石を詰めていった。

すぐに瓶の蓋が閉まらなくなり、学生は全員手を挙げた。

すると、

教授は袋からもう少し小さい白黒の石をいくつも取り出し、

それを瓶に詰めはじめた。

小石は大きな石の隙間に入っていった。

やがて、

学生たちはにやりとして、また手を挙げた。

今度こそ、瓶は満杯だ。

しかし、

教授は砂の入った袋を持ち出すと、

瓶に砂を流し込んだ。

砂が石の間の隙間を埋めていった。

教授は得意顔で瓶の蓋を閉めて、あらためて尋ねた――

これで瓶は満杯になったかな?

学生たちは拍手し、口々に「今度こそ満杯です!」と答えた。

すると、教授は2杯のコーヒーカップを取り出し、

中のコーヒーを瓶に注ぎ込んだ。

コーヒーが石と砂の間のごく小さな隙間に入っていった。

「人生はこの瓶と似ています」

と、教授は言った。

「大きな石は人生で最も大切なもの。

倫理観や家族や恋人や健康などです。

ほかのすべてを失っても、

これらがあれば人生に満足できます。

小石は人生でいくらか大切なもの。

大切ではあるけれど、

それを幸福の基準にしてはならない。

仕事や家や車がそうです。

砂は、それ以外のすべてのもの。

私たちの時間を奪う無数のくだらないものごとのことです。

瓶を先に砂で満たすと、石を入れる場所がなくなってしまう。

同じように、人生をくだらない用事で埋めると、

本当に大切なことをする時間がなくなってしまいます」。

教室が一瞬静まり返ったあと、

1人の学生が尋ねた。

「では、コーヒーは?」

「よくぞ聞いてくれました」

と、教授は答えた。

「これは、どんなに忙しくても、

友だちと1杯のコーヒーを飲むくらいの時間はある、

という意味です」

 

「7(セブン) 1週間のうち何日を特別な日にできるだろう?」(ダン・ゼドラ 著、 池村千秋 翻訳 海と月社)より引用

 

 

こういった比喩によって教訓のようなものを伝える文章を「寓話」というそうです。

メッセージをストレートに語るよりずっと、読み手や聴き手の心に入りやすいです。

年末年始、こういった寓話に触れて、自分の人生についてゆっくり考える時間をもってもいいかもしれないですね。

 

過去ブログでも寓話を紹介したり、人から聞いた話を自分でリライトしたりしたものがあります。よろしければこちらもお読みください。↓↓

 

★2012年3月23日記事(後半部分)
「ダイヤモンドはダイヤモンドでしか磨けない」

 

★2018年5月28日記事(後半部分)
「鎖につながれた象」

 

★2018年5月31日記事
「ひび割れ壺の話」

 

★2018年8月20日記事
「つながる命 ご先祖様は何人?」

投稿者プロフィール

masaki
masaki
誰もが自分の個性や才能を生かして、望む人生を自由に生きられる社会の実現を目指しています。今まで教育に携わりながらコーチング、心理学、カウンセリング、占星学、学習法など、個人の成長や能力開発に関わることを学んできました。このブログで発信する情報が、自己理解や他者理解を深めるきっかけの1つになれば幸いです。
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